2017年04月08日
旧田代家住宅を訪ねる①―国登録有形文化財
かつて、北鹿島村の名主を務め、筏の受け継ぎ問屋でもあった旧田代家住宅の主屋は、安政6年(1859)の建築。旧田代家住宅は国の登録有形文化財です。
田代家は江戸時代に北鹿島村の名主を務めた家柄。門の両側に使用人の居場所を設けた長屋門を見かけることが多いのですが、旧田代家の門は冠木門(かぶきもん)。交通の要所に設けられた番所に多く建てられた、門柱に「冠木=横木」を1本渡しただけの門です。
筏問屋であった田代家は、天竜川を下る筏とその積み荷に10分の1の税をかける「鹿島拾分一番所」の役目を務めたこともありました。そのため、番所であることを示す冠木門が建てられたようです。
また、伝説によれば、戦国時代に武田方との戦いで、退路を断たれた家康を、田代孫之尉正行ら北鹿島村の村人たちが竹筏を組んで救ったと語られています。冠木門の内側には、その竹筏を再現した筏が展示されていました。
田代家は江戸時代に北鹿島村の名主を務めた家柄。門の両側に使用人の居場所を設けた長屋門を見かけることが多いのですが、旧田代家の門は冠木門(かぶきもん)。交通の要所に設けられた番所に多く建てられた、門柱に「冠木=横木」を1本渡しただけの門です。
筏問屋であった田代家は、天竜川を下る筏とその積み荷に10分の1の税をかける「鹿島拾分一番所」の役目を務めたこともありました。そのため、番所であることを示す冠木門が建てられたようです。
また、伝説によれば、戦国時代に武田方との戦いで、退路を断たれた家康を、田代孫之尉正行ら北鹿島村の村人たちが竹筏を組んで救ったと語られています。冠木門の内側には、その竹筏を再現した筏が展示されていました。