2017年04月11日
掛塚の繁栄を振り返る⑮―竹内市三郎
今回「掛塚の繁栄を振り返る」で紹介した引き札は池田家所蔵の12枚、佐口行正さん所蔵の1枚の計13枚。まだまだ他にも紹介したい掛塚の引き札はあるのですが、その中の1枚が「磐田市立竜洋郷土資料館」に展示されている「遠州磐田郡掛塚町 竹内市三郎」の引き札。「上カギ印前挽鋸製造 萬金物兼鍋釜類 度量衡」の文字と大鋸の絵が描かれています。
かつて掛塚湊から運ばれた主な移出品は北遠の木材。以前は天竜川の上・中流で角材や板に挽かれていたのですが、江戸時代の後期には掛塚の天竜川の川岸に木挽きの小屋が並びました。
当初、鋸は近江地域から仕入れていたのですが、需要が増すにつれて掛塚で造られるようになり、明治10~30年の全盛期には10軒近くの鋸鍛冶があったとのこと。
1枚の引き札から浮かび上がる掛塚鋸の歴史。掛塚の繁栄は、北遠の木材の製材運搬によるものだったのです。
かつて掛塚湊から運ばれた主な移出品は北遠の木材。以前は天竜川の上・中流で角材や板に挽かれていたのですが、江戸時代の後期には掛塚の天竜川の川岸に木挽きの小屋が並びました。
当初、鋸は近江地域から仕入れていたのですが、需要が増すにつれて掛塚で造られるようになり、明治10~30年の全盛期には10軒近くの鋸鍛冶があったとのこと。
1枚の引き札から浮かび上がる掛塚鋸の歴史。掛塚の繁栄は、北遠の木材の製材運搬によるものだったのです。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:12│Comments(0)
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