2017年04月09日
掛塚の繁栄を振り返る⑬―呉服屋
「掛塚の繁栄を振り返る⑧―郵便・電話の歴史」で紹介した引き札の「掛塚砂町 杉本屋商店」「掛塚本町 田中屋商店」はともに呉服店。池田家所蔵の引き札の中には、他にも「掛塚町 白木屋金三郎」「掛塚砂町 カネ才 杉本商店」の2枚があり、明治時代後期の掛塚には、引き札を発行するだけの呉服屋が3店あったことになります。
私たちにとっては「呉服」も「和服」も「着物」の意味と考えてしまいがちですが、呉服屋が扱うのは絹物ですから、庶民が着る服である綿や麻の和服「太物」とは分けて考えられていました。
決して広いとは言えない掛塚に3店もの呉服屋があったということは、掛塚には絹物を求める客がいたということ。その中には、廻船問屋や製材、酒蔵で財を成した家もあったと思いますが、芸者や遊女など絹物を着た華やかな女性がおおぜいいたことと無縁とは思われません。
私たちにとっては「呉服」も「和服」も「着物」の意味と考えてしまいがちですが、呉服屋が扱うのは絹物ですから、庶民が着る服である綿や麻の和服「太物」とは分けて考えられていました。
決して広いとは言えない掛塚に3店もの呉服屋があったということは、掛塚には絹物を求める客がいたということ。その中には、廻船問屋や製材、酒蔵で財を成した家もあったと思いますが、芸者や遊女など絹物を着た華やかな女性がおおぜいいたことと無縁とは思われません。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 06:44│Comments(0)
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