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2017年03月28日

掛塚の繁栄を振り返る①―松下酒店

松下商店の引き札 「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」新年会の席で、池田家に残されていた19枚の引き札が紹介されました。この引き札をきっかけに、「遠州の小江戸」と呼ばれ、湊町として栄えたあの頃の掛塚の面影を探ってみようと思います。

 引松下商店の引き札き札とは、江戸時代に始まり、明治時代になって急速に広がった現在のチラシのようなもの。浮世絵で培われた日本古来の木版や石版で色鮮やかに印刷され、商店が宣伝のために配られました。しかし、チラシのように捨てられるものではなく、縁起の好い絵柄が多かったため、壁に貼られて部屋の飾りとして楽しまれたようです。

 1番数が多かったのは「酒類醸造所 掛塚 松下商店」の引き札4枚。中でも古いと思われるのは「漁樵問答(ぎょしょうもんどう)」を描いた1枚です。白髪の老人になってしまった浦島太郎が養老の滝の水を呑み、再び黒髪の若者として蘇るという絵柄で、「明治卅九年七月十日印刷仝年八月卅日發行」の文字が見えます。

 松下商店の引き札他の3枚には「酒類醸造所 掛塚 松下商店 仝支店」とあり、松下商店に支店が出来たことが分かります。特に「酒もよし 御酌もよしと 盃の 齢ひ重ねて 祝ふ名醸」。きれいどころにお酌をしてもらいご機嫌な酒好きの恵比寿様は、造り酒屋の引き札にはピッタリ。

松下商店の引き札 この引き札で気づいたことが、もう1つ。左端に「明治四十五年七月十日印刷仝年八月卅日發行」の小さな文字が見えますので、1枚目の引き札の6年後。

 明治は、明治天皇の崩御と大正天皇の即位により、45年7月30日で大正へと改元されています。偶然とは言え、時代をまたいだ貴重な引き札と言えます。



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Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:25│Comments(0)みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚
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