2017年04月01日
掛塚の繁栄を振り返る⑤―銅版画「回漕業及材木商 松下文次郎」
明治時代に流行した寺社や邸宅や商家などの銅版画の1枚に、「回漕業及材木商 松下文次郎」のものがあります。これは松下家の古い屋敷を描いたもの。「静岡縣遠江國 長上郡掛塚村白羽」とあり、現在も残る旧掛塚郵便局南、天竜石の石積みや、奥にある伊豆石の蔵も描かれています。
かつての松下家の敷地は、旧掛塚郵便局から貴船神社南に至る広大な大きさだったとのことで、銅版画の背景には、遥か彼方の富士山も描かれています。
屋敷が面した路上には、人力車や日傘を差した和服姿の女性、郵便配達夫らしい姿も見られ、銅版画が決して写生ではないことを差し引いて考えても、明治24年(1891)の掛塚の人口は7,072人であり、同時期の見付6,733人、中泉4,026人を凌いでいたとのデータを裏付けているようです。
かつての松下家の敷地は、旧掛塚郵便局から貴船神社南に至る広大な大きさだったとのことで、銅版画の背景には、遥か彼方の富士山も描かれています。
屋敷が面した路上には、人力車や日傘を差した和服姿の女性、郵便配達夫らしい姿も見られ、銅版画が決して写生ではないことを差し引いて考えても、明治24年(1891)の掛塚の人口は7,072人であり、同時期の見付6,733人、中泉4,026人を凌いでいたとのデータを裏付けているようです。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:24│Comments(0)
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