2017年03月31日
掛塚の繁栄を振り返る④―「サス中」の屋号紋と「丸に蔦」の家紋
白羽神社に納されている絵馬の「松風丸」、額の「明慶丸」はともに、「明治廿六年九月現在船舶表」にもその名を記しています。
「サスナカ」の船は、全部で9隻。そのうち「松下文次郎」が船主となっているのは明慶丸、迅速丸、清松丸、三寶丸、松風丸の5隻です。
なお、船名の最後に「丸」が付けられていることが多いのは、明治33年(1900)に制定された『船舶法取扱手続』で、「船舶ノ名称ニハ成ルベク其ノ末尾ニ丸ノ字ヲ附セシムベシ」と「丸」の付加を推奨していたためですが、それ以前の船名にも、多くの場合「丸」を付ける習慣がありました。
松下家の屋号は「中屋」でしたが、屋号紋は「サスナカ=サス中」。「サス」とは、両手を組み合わせる「叉手(さす)」から転じ、切妻屋根の両端に使い、棟木を受けるために合掌形に組んだ材のことも「扠首(さす)」と呼びます。つまり、「/」と「\」が上の方で交差した形。旧松下家の石蔵の屋根瓦に見えるのが「サス中」の屋号紋です。
「サスナカ」の船は、全部で9隻。そのうち「松下文次郎」が船主となっているのは明慶丸、迅速丸、清松丸、三寶丸、松風丸の5隻です。
なお、船名の最後に「丸」が付けられていることが多いのは、明治33年(1900)に制定された『船舶法取扱手続』で、「船舶ノ名称ニハ成ルベク其ノ末尾ニ丸ノ字ヲ附セシムベシ」と「丸」の付加を推奨していたためですが、それ以前の船名にも、多くの場合「丸」を付ける習慣がありました。
松下家の屋号は「中屋」でしたが、屋号紋は「サスナカ=サス中」。「サス」とは、両手を組み合わせる「叉手(さす)」から転じ、切妻屋根の両端に使い、棟木を受けるために合掌形に組んだ材のことも「扠首(さす)」と呼びます。つまり、「/」と「\」が上の方で交差した形。旧松下家の石蔵の屋根瓦に見えるのが「サス中」の屋号紋です。
また、「明慶丸」の旗に描かれていた「丸に蔦」の家紋は、石蔵の窓の上部を飾っています。
Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:30│Comments(0)
│みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚