2017年04月05日
掛塚の繁栄を振り返る⑨―志加屋商店
次に紹介するのは「カネ中 志加屋商店」の引き札。どちらも住所は掛塚町とされていますので、明治29年(1896)町制施行が敷かれ、掛塚村から掛塚町になって以降の引き札のようです。
扱っている品は「味噌糀」「糀味噌」とされ、米、麦、大豆などにカビを繁殖させ、どこの家でも手作り味噌が当たり前だった時代に味噌や醤油、漬物などの発酵食品に使われる麹(こうじ=糀)を販売していた店です。
扱っている品は「味噌糀」「糀味噌」とされ、米、麦、大豆などにカビを繁殖させ、どこの家でも手作り味噌が当たり前だった時代に味噌や醤油、漬物などの発酵食品に使われる麹(こうじ=糀)を販売していた店です。
「志加屋商店醸造部」の引き札からは、酢・醤油・酒類も製造していたことが窺われます。
「明治卅九年七月」の引き札には「中村喜三郎」の名が刷り込まれていますが、この名前には見覚えが。掛塚貴船神社拝殿にある西洋式帆船「第七石寶丸」の額入り写真の奉納者が中村喜三郎だったはずです。
「明治卅九年七月」の引き札には「中村喜三郎」の名が刷り込まれていますが、この名前には見覚えが。掛塚貴船神社拝殿にある西洋式帆船「第七石寶丸」の額入り写真の奉納者が中村喜三郎だったはずです。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:22│Comments(0)
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