› 自然と歴史の中を歩く! › 出かけよう!北遠へ › 歴史・産業遺産・寺社・文化財 › 北遠のニュース › 鳥羽山城跡 新たな石垣2カ所発見 浜松市が調査へ

2021年03月28日

鳥羽山城跡 新たな石垣2カ所発見 浜松市が調査へ

鳥羽山城跡で新たに見つかった石垣◆愛護会「ぜひ訪れて」

 戦国時代に徳川家康が領有した浜松市天竜区の国史跡・鳥羽山城跡で、これまで確認されていなかった石垣が、新たに見つかった。他の石垣同様、戦国時代末期の430年前に築かれた可能性があり、市は専門家に意見を求めて年代や構造などの調査を進める。

 見つかった石垣は、本丸の外側にある西の丸広場周辺の2カ所。高さ約4㍍、横幅約8㍍と、高さ約4㍍、横幅約15㍍の石垣を確認し、一部に白い石灰岩も交じっていた。2月中旬に鳥羽山公園愛護会の会員が、広場の草刈り作業中に見つけた。

 愛護会の曽我清臣代表(78)=天竜区二俣町=は「最初は大きな岩としか思わなかったが、大きな石の間に小さな石が挟まっていて石垣だとみんな確信した。まさか国の史跡から新しいものが出てくるとは思わなかった」と驚く。

 今月17日には、市文化財課も現地を確認した。担当者は「他の石垣の位置からある程度の可能性は想定していたが、今回はっきり見える形になった。埋まった状態の石垣が他にもある可能性もあり、専門家に依頼し、時代など慎重に評価を固めたい」と話す。曽我代表は「ぜひ多くの山城ファンに訪れて見てほしい」と歓迎し、4月3日午前10時から愛護会主催で石垣を含めた城跡のガイドツアーを開く。無料。問い合わせ:曽我代表=電053(925)6057

 鳥羽山城 1560年、桶狭間の戦いをきっかけに二俣城(天竜区)と合わせて今川氏が原型を築いた。その後は家康が支配し、武田を徳川の攻防戦の舞台になったことで知られる。戦後に公園として整備されて以来、1975年、89年、2009~13年に公的な調査が実施された。(「中日新聞」より)


鳥羽山城跡で見つかった石垣 たまたま取材に立ち会うことになり、一番奥に写っているのが私。左の写真は私が撮影したものです。

 これまで見つからなかったのは、草に埋もれていたため。あなたが山城ファンなら、桜がきれいなこの時季に、ぜひ訪れてみてください!



同じカテゴリー(出かけよう!北遠へ)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
鳥羽山城跡 新たな石垣2カ所発見 浜松市が調査へ
    コメント(0)