2017年12月03日
紅葉の鳥羽山公園を散策⑥―2つの句碑
百合山羽公は、明治37年(1904)浜松生まれの俳人。「ホトトギス」「馬酔木」を経て、戦後まもない昭和21年(1946)に天竜二俣で「あやめ」を創刊しました。
見晴らし広場の句碑に刻まれている「寒流と して天竜も 伏し流る」の句は、疎開先の北区細江町で伏せるようにして戦争を潜り抜けた心情を、天竜川の流れに託して吐露した句でしょうか?
「天龍の へりに椅子おく 夕涼み」は昭和42年(1967)の夏の作品。戦時中は上阿多古に疎開していたとのこと。自筆の句を金属板に刻んだのは、二俣出身の彫刻家・二橋美衡(にはしよしひら)。天竜ゆかりの2人の合作になる句碑は、腰曲輪の駐車場からお花見広場の方に少し行ったところにあります。