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2019年04月29日

「民俗の宝庫」水窪を訪ねて①―山住神社の葵紋

山住神社の鳥居と神門 すでに何度も訪れている水窪ですが、今回は「民俗の宝庫」としての水窪に触れてみたいとの強い思いから。先ずは、山犬信仰で知られる山住神社を訪ねました。

 石の鳥居脇に立つ、神社の表札とも言うべき社号碑(社名碑)の「大日本總鎮守」と「山住神社」との間には、徳川家の家紋「三つ葉葵」が。これは、山住神社と徳川家康との浅からぬ関係を示すものです。

 言い伝えによれば・・・。

 元亀3年(1572)、家康は三方ヶ原で武田信玄との合戦に敗北し、山住神社に逃げ込みます。やがて、武田軍の追っ手が迫ると空がにわかに曇り、辺りは夕闇のようになりました。すると、どこからとなく山犬の鳴き声が湧き上がり大音響となりました。この声に恐れをなした武田軍は退散。難を逃れた家康は山住神社を大変崇拝したと言われます。

社号碑の「三つ葉葵」紋 また、浜松城の鬼門とされる丑寅の方角(北東)にある山住神社に「武運長久」を祈願し、天正4年(1576)宝剣2振、慶長19年(1614)宝剣1振を奉納し、徳川幕府からも篤く信仰されたということです。

 これが、社号碑に「三つ葉葵」が掲げられている理由。境内の幟や神社幕にも「三つ葉葵」が染め抜かれていました。



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