2018年09月30日
諏訪大社を訪ねて㉔―万治の石仏

万治の石仏と伝説
南無阿弥陀仏万治三年(一六六〇)十一月一日 願主明誉浄光 心誉廣春
伝説によると、諏訪大社下社(春宮)に石の大鳥居を造る時この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなし仕事をやめた(ノミの跡は現在でも残っている)その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ果たしてそこに良材を見つける事ができ鳥居は完成したというのである。石工達は、この石に阿弥陀如来をまつって記念とした。尚、この地籍はこの石仏にちなんで古くから下諏訪町字石仏となっている。 下諏訪町

「万治の石仏」の「万治」とは石工の名とばかり思っていましたが、「万治三年」と刻まれているからだとか。しかし、願主の明誉浄光も心誉廣春も僧籍に名がなく、江戸時代の地図にも描かれていないなど「?」マークが付いています。しかも、左胸に逆卍が刻まれているところから、「卍⇒まんじ⇒万治」となったという説も。

春宮(はるみや)の石の大鳥居はこれ。傷から血が流れた石は、鳥居の石でしょうか?それとも、石仏の石?