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2018年09月18日

諏訪大社を訪ねて⑫―富國館製絲場奉納の玉垣

塀重門下の玉垣 諏訪市中洲宮山の諏訪大社上社本宮(ほんみや)塀重門(へいじゆうもん)へと続くの石段の玉垣に刻まれた「富國館製絲場」の文字に目が留まりました。それは一瞬、世界文化遺産に登録されてた「富岡製糸場」と読めたから。

「武州深谷町 富國館製絲場」と刻まれた親柱 よく読むと「武州深谷町 富國館製絲場」とあり、群馬県富岡市にある「富岡製糸場」ではなくて、埼玉県深谷市にあった「富國館製絲場」。「富國館製絲場」とは、養蚕・製糸が盛んだった長野出身の両角市次郎(慶応元年~大正10年)が、深谷に創立した製糸工場でした。

石段の玉垣 養蚕が盛んになった経緯には、明治政府による殖産興業奨励の意図のほか、農民が現金収入を得て自立するという大きな目的もありました。明治の末には、長野県の繭生産は群馬県や福島県を抜いて日本一に。玉垣の親柱に刻まれた「明治四十三年三月建之」の時期とぴったり合います。

 両角市次郎は、「優良なる生糸の生産は優良なる工女と器械による」という考えから、余興場、女工浴室、面会室など福利厚生施設を整備し、労働環境の向上を図った経営者。深谷の他、諏訪、福島、静岡にも工場があったということですから、本県とも浅からぬ関係があります。

 石柱には、「試驗課一同」「鍛工部一同」「倉庫部一同」「衛生部一同」「教育部一同」と続き、日本式資本主義の香りが。諏訪大社の御神籤には、今でも「養蚕」の項目が残っているそうです。

上社前宮で見たクスサンの繭 そう言えば、上社前宮(まえみや)の透かし塀の軒下で見た繭は、スカシダワラと呼ばれる野生の蚕クスサンの繭でした。

ヤマグワ 諏訪の山道には、蚕の餌にされた山桑(ヤマグワ)の美しい葉もありました。山桑の葉は諏訪大社ゆかりのカジノキの葉に大変よく似ていますが、養蚕が盛んだった時代の名残りでしょうか?

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この記事へのコメント
ありがとうございます。探していた痕跡でした。富国館は深谷に造る前に諏訪大社前宮に近い宮川村新井に最初の工場があったそうです。銀行もありました。両角庄内が設立し深谷富国館は宮川富国館の分工場が始まりだったようです。新井は諏訪大社のお膝元ですから煙が上がる工場は岡谷などのように大きくできなかったのではないかと推測しています。
庄内の息子である市次郎が深谷に繭を買付に行くようになり工場を始めたのでしょう。深谷富国館は渋沢栄一の地元にありましたからちょうど調べておりました。
私の曾祖父の歴史が垣間見れて嬉しいです。市次郎が亡くなって5年後に火事で深谷富国館は終わりましたが、婿養子に入った方が福島出身で福島富国館を造り創業していたようです。今度諏訪大社に行きましたら玉垣を探してみます。貴重な情報をありがとうございました。
Posted by 両角 at 2021年02月23日 02:41
私が住む天竜川下流の地域には諏訪神社が多く祀られています。諏訪大社には二度行きましたが、コロナ禍で自粛し昨年(2020)は行けませんでした。ぜひ、もう一度立ち寄る機会を作りたいと思っています。
こちらこそ、本当にありがとうございました!
Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さんみんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 2021年02月23日 05:18
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