2017年12月14日
遠州横須賀の町歩き⑧―割烹旅館「八百甚」
かつての城下町の雰囲気を楽しみながら歩いた横須賀ですが、一番目立っていたのは割烹旅館「八百甚」。中に入ることはしませんでしたが、外から見るだけでも十分にかつての横須賀街道の賑わいを彷彿させてくれる建物です。
城が建てられた戦国時代から江戸時代にかけての横須賀の南は、遠州灘の入り江で天然の良港。宝永4年(1707)の大地震により、地盤の隆起で湊としての機能が失われ、以後は横須賀街道による陸上輸送が中心になりました。
「八百甚」が創業したのは江戸時代の末期で、現在の建物は昭和8年(1933)の建築とのこと。隣の家と同じ2階建てですが、比べて見れば明らかに高さが違います。2階にはガラス窓が広く設けられ、建築当時のままと思われる擦りガラスの歪みが懐かしい風景となっています。
玄関横に立てられているのは「掛川いも汁」の幟。ぜひ一度、食事に訪れてみたいと思わざるにはいられません。
城が建てられた戦国時代から江戸時代にかけての横須賀の南は、遠州灘の入り江で天然の良港。宝永4年(1707)の大地震により、地盤の隆起で湊としての機能が失われ、以後は横須賀街道による陸上輸送が中心になりました。
「八百甚」が創業したのは江戸時代の末期で、現在の建物は昭和8年(1933)の建築とのこと。隣の家と同じ2階建てですが、比べて見れば明らかに高さが違います。2階にはガラス窓が広く設けられ、建築当時のままと思われる擦りガラスの歪みが懐かしい風景となっています。
玄関横に立てられているのは「掛川いも汁」の幟。ぜひ一度、食事に訪れてみたいと思わざるにはいられません。