2017年12月07日
遠州横須賀の町歩き①―防火水槽と北外堀
横須賀城は、戦国時代から江戸時代にあった城。武田氏の高天神城攻めの拠点として、徳川家康が大須賀康高に命じて、入り江に面した地に築かせた平城です。
米蔵に火災が発生した時の消火用に造られた井戸のようですが、「北の丸」から見下ろせば、北側の外堀には今もまだ水が。しかし、弓矢から鉄砲の時代に移った頃からは、この堀の幅では狭過ぎます。
実際には、現在残っている堀の向こうも堀跡のようでしたので、射程が長い鉄砲でも届かないくらいの幅はあったようです。