2019年11月11日

西渡の「栄枯盛衰」①―新旧の写真を比較

 昭和50年頃の西渡の写真を貸していただきました。久根鉱山は既に閉山(昭和45年)された後の写真です。現在とそれほど違っているわけではありませんので、私にもそこが何処かは分かります。では、どこが同じで、どこが違っているのでしょう?10年ほど前に現地に行って、ほぼ同じ角度からの写真を撮ってみましたので、比べてみてください。

昔の西渡
昔の西渡
10年前の西渡
10年前の西渡
昔の西渡
昔の西渡
10年前の西渡
10年前の西渡

 「土井呉服店」さんの写る1枚は、店正面に掛けられた大きな日除け暖簾こそありませんが、少なくとも、道路のアスファルト舗装に残る凹凸はそのままのようです。

 2枚目の写真は、「持永療院」さんの近くです。印象的な赤レンガの塀はそのまま。路面の不思議な凹凸もまったく同じ(現在、この凹凸は見られません)。でも、通りを挟んだ向かいにあったはずの家並が、現在はありません。ガードレールの外にあったはずの数軒の家は、西渡を離れたのでしょうか?

 遠景の高台に見えるのが「山香中学校」。もちろん、現在は残っていません。

 久根鉱山があった時代には、西渡には映画館があったそうです。パチンコ屋も、ビリヤードも、カフェも置屋さんもあったそうです。鉱山で働く人は、他所の土地から来て西渡に住み、危険な仕事に従事しながらもそれなりの給料を貰っていたそうですので、客はそんな久根の従業員。呉服店もあれば洋服店もありました。

 そして今、「土井呉服店」さんは残っていますが、「三井屋呉服店」さんのレトロな建物は、10年前に解体されてしまいました。栄枯盛衰の風は、この山里にも確かに吹き荒れました。


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