› 自然と歴史の中を歩く! › みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚 › 歴史・産業遺産・寺社・文化財 › 大久保春野の筆跡が残る慰霊碑⑫―忠魂碑(磐田市見付・つつじ公園)

2017年07月29日

大久保春野の筆跡が残る慰霊碑⑫―忠魂碑(磐田市見付・つつじ公園)

「つつじ公園」の「忠魂碑」 見付天神、矢奈比賣神社横の「つつじ公園」にも、「陸軍中将従三位勲一等功二級大久保春野書」の「忠魂碑」がありました。

 「忠魂碑」があるのは、境内裏手にある霊犬神社の隣り。1対の献燈の奥に造られた石積みの上に立つ砲弾型の石碑の建立は「明治四十年丁未三月建」。西暦に直せば1907年3月ですから、男爵の爵位を授けられた同年9月21日の半年前になります。

 正面の基部に嵌め込まれた石板には、「明治弐十七八秊戰没忠死者」の篆字と3名の名が刻まれていますが、向かって左側の石板には「明治二十九年臺灣事變戰死者」「大正三年戦役戦死者」「昭和八年滿洲事變戰死者」各1名が追加されています。

陸軍中将従三位勲一等功二級大久保春野書 明治28年(1895)3月の日清講和条約発効後、台湾へと兵を進め、台湾を植民地化しました。しかし、その後も抵抗が激しく、さらに兵を送っての戦いが「台湾事変」と呼ばれ、戦死者・病死者が出ました。

 「大正三年戦役」とは第一次世界大戦、「「昭和八年満洲事変」は柳条湖事件に端を発し、関東軍による中華民国軍との武力紛争。その結果、「満洲国」が建国され、事実上は関東軍の指導下にあったことは、ご存知の通りです。




同じカテゴリー(みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
大久保春野の筆跡が残る慰霊碑⑫―忠魂碑(磐田市見付・つつじ公園)
    コメント(0)