2018年01月13日
「松ヶ岡」旧山崎家住宅を訪ねる㉕―土蔵の老朽化と修復
「松ヶ岡」山崎家8代目、山崎千三郎は明治13年(1880)、自らが初代頭取となり掛川銀行を設立しました。資本金は30万円は、当時県内にあった国立の静岡三十五銀行7万円、浜松二十八銀行12万円と比べると、いかに大きな銀行であったかが想像できます。
その後、掛川銀行は協和銀行と統合し、遠州銀行との統合を経て、現在の静岡銀行へと引き継がれています。
そんな華々しい歴史を見て来た旧山崎家住宅ではあるのですが、あちらこちらに経年による傷みが目立って来ています。特に、土蔵の老朽化は深刻。保存管理・修復などは、市民団体「松ヶ岡プロジェクト推進委員会」が担うとのことですが、寄付金を募ったとしても、その経費を考えるとかなりの困難が伴うと思います。
文化財指定を目指すにしても、修復を終えてからの可能性が高く、ボランティアでできる範囲には限界があります。私たち「みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚」としても、気を引き締めて活動していかなくてはなりません。
その後、掛川銀行は協和銀行と統合し、遠州銀行との統合を経て、現在の静岡銀行へと引き継がれています。
そんな華々しい歴史を見て来た旧山崎家住宅ではあるのですが、あちらこちらに経年による傷みが目立って来ています。特に、土蔵の老朽化は深刻。保存管理・修復などは、市民団体「松ヶ岡プロジェクト推進委員会」が担うとのことですが、寄付金を募ったとしても、その経費を考えるとかなりの困難が伴うと思います。
文化財指定を目指すにしても、修復を終えてからの可能性が高く、ボランティアでできる範囲には限界があります。私たち「みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚」としても、気を引き締めて活動していかなくてはなりません。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:07│Comments(0)
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