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2017年04月12日

峰之沢鉱山の遺構を訪ねる⑤―インクライン終点のプラットホーム跡

インクライン終点の石積み 江戸時代から採掘が行われていたという峰之沢鉱山の開発の歴史を振り返れば、明治40年(1907)久原鉱業によって買収された後、日本鉱業が経営を再開して、昭和30年(1955)頃に最盛期を迎えました。

 その後、鉱量や品質の低下、貿易の自由化などにより、閉山されたのは昭和44年(1969)。わずか50年前までは、採掘が行われていた鉱山だったのです。

インクライン終点の石積み インクラインとは、鉱山から掘り出された鉱石や物資、あるいは人までも運んだ山の足。傾斜面にレールを敷き、動力で台車を動かして貨車や客車を上下させました。

 写真は、インクライン終点に残る石積みの遺構。プラットホーム跡です。



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