2017年04月09日
峰之沢鉱山の遺構を訪ねる②―古い絵葉書「峰之沢鉱業所 人車インクライン」
「市制記念特集 浜松ぐるっと100周年 天竜区」(平成23年(2011)5月27日付静岡新聞)の中に紹介された「峰之沢インクライン」と同じ写真を使った古い絵葉書があります。

磐田市見付の佐口行正さんからお借りしたのは、「昭和二十七年四月 七、五〇〇瓲設備落成記念寫眞集 日本鑛業株式会社 峰之澤鑛業所」と題された袋付きの古い絵葉書の中の1枚。文字ははっきりとしない部分もあるのですが、「峰之沢鉱業所 人車インクライン(事務所プラット附近○○)」と書かれているようです。
昭和27年(1502)と言えば、日本鉱業によって経営されていた峰之沢鉱山のほぼ全盛期。従業員700名を抱え、鉱山には診療所や映画館なども備えていたということです。「7,500トン設備」が何を意味しているのかは正確には分かりませんが、おそらく月産の採鉱、精鉱、あるいは処理の能力のことだろうと思います。『龍山村勢要覧』が編纂された同じ年、峰之沢鉱山では記念絵葉書を発行するほどの大きな設備拡張がされたようです。
インクラインの高架は複線となっています。傾斜角は約30度。この巨大な運搬装置が、天竜川の左岸、下平山の急斜面を上り下りしていたのです。

磐田市見付の佐口行正さんからお借りしたのは、「昭和二十七年四月 七、五〇〇瓲設備落成記念寫眞集 日本鑛業株式会社 峰之澤鑛業所」と題された袋付きの古い絵葉書の中の1枚。文字ははっきりとしない部分もあるのですが、「峰之沢鉱業所 人車インクライン(事務所プラット附近○○)」と書かれているようです。

インクラインの高架は複線となっています。傾斜角は約30度。この巨大な運搬装置が、天竜川の左岸、下平山の急斜面を上り下りしていたのです。