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2017年04月21日
峰之沢鉱山の遺構を訪ねる⑭―古い絵葉書「峰之澤鑛山天龍川船積塲鐵索及運礦船逆航ノ景」と写真師・小川一眞
佐口行正さん所蔵の古い絵葉書「峰之澤鑛山天龍川船積塲鐵索及運礦船逆航ノ景」は、数少ない峰之沢鉱山の写真。帆に風を受けて川を上る帆船には、明治40年に鉱山を買収した久原鉱業の社章である「扇」の帆印が染め抜かれています。
昭和4年(1929)以後の帆印としては、日本鉱業の「○」が使われたはずですので、写真はそれ以前のものと思われます。
峰之沢鉱山の鉱石は、延長547メートル、高低差265メートルのインクラインを使って下ろされました。以前聞いた話によれば、プラットホームに下ろされた鉱石は、一旦鉄索を使って対岸の青谷に運び、そこから鉱石船に載せられたとのこと。
この写真の左が川上、対岸から2条の鉄索が右岸に延び、そこにもトロッコのレールのようなものが敷設されていたことが見て取れます。
目にすることが少ない峰之沢鉱山の写真。裏面には、「小川一眞(おがわかずまさ)印行」とあり、小川一眞とは、万延元年(1860)に生まれて、昭和4年(1929)に没した写真師。日本で最初に写真製版を実用化した、日本写真史にその名を残す人物です。
*なお、表題の「礦(石+廣)」の字は、鉱山から掘り出した原石を示す漢字。「鑛(金+廣)」は精錬前の金属を指しています。
昭和4年(1929)以後の帆印としては、日本鉱業の「○」が使われたはずですので、写真はそれ以前のものと思われます。
峰之沢鉱山の鉱石は、延長547メートル、高低差265メートルのインクラインを使って下ろされました。以前聞いた話によれば、プラットホームに下ろされた鉱石は、一旦鉄索を使って対岸の青谷に運び、そこから鉱石船に載せられたとのこと。
この写真の左が川上、対岸から2条の鉄索が右岸に延び、そこにもトロッコのレールのようなものが敷設されていたことが見て取れます。
目にすることが少ない峰之沢鉱山の写真。裏面には、「小川一眞(おがわかずまさ)印行」とあり、小川一眞とは、万延元年(1860)に生まれて、昭和4年(1929)に没した写真師。日本で最初に写真製版を実用化した、日本写真史にその名を残す人物です。
*なお、表題の「礦(石+廣)」の字は、鉱山から掘り出した原石を示す漢字。「鑛(金+廣)」は精錬前の金属を指しています。