2020年12月01日
森の鋳物師・山田七郎左衛門の仕事を訪ねて③―可睡斎の「秋葉山奥院勝坂不動堂鐘」
「秋葉山奥院勝坂不動堂鐘 1722年(享保7年)に山田七郎兵衛種重が大工となった鐘で、施主は秋葉7世運任宗である。(袋井市 可睡斎所蔵)」と、これも森町の公式HP「22 森町の鋳物師」内での表記。可睡斎の秋葉総本殿の御神体が秋葉山秋葉寺から遷座されたものであることは承知していましたが、そこに「秋葉山奥院勝坂不動堂鐘」があるとは知りませんでした。
そして、可睡斎の境内を探しまくり、もちろん奥の院にも行きましたが、「秋葉山奥院勝坂不動堂鐘」らしきものは見当たりません。護国塔のそばに鐘楼堂はありましたが、これは「秋葉總本殿威徳三尺坊大権現」「明治四十三年七月納之」も文字が浮かんでいましたので違います。
探しに探した挙句、大書院の下足場に小さな鐘が下がっているのに気づきました。まさかとは思いましたが、この鐘を見上げ刻まれている文字を読むと「當國森町 山田七郎兵衛種重作」とあり、時代もほぼ同じですから同一人物なのかも知れません?
当時の鋳物師は大砲や銃などの武器を製造する技術者であり、軍事的な必要性からも、山田家は朱印状を与えられた家柄。「鍛冶島」の地名がある森町は、かつて鍛冶師や鋳物師が活躍した地域であったのは間違いありません。
そして、可睡斎の境内を探しまくり、もちろん奥の院にも行きましたが、「秋葉山奥院勝坂不動堂鐘」らしきものは見当たりません。護国塔のそばに鐘楼堂はありましたが、これは「秋葉總本殿威徳三尺坊大権現」「明治四十三年七月納之」も文字が浮かんでいましたので違います。
探しに探した挙句、大書院の下足場に小さな鐘が下がっているのに気づきました。まさかとは思いましたが、この鐘を見上げ刻まれている文字を読むと「當國森町 山田七郎兵衛種重作」とあり、時代もほぼ同じですから同一人物なのかも知れません?
当時の鋳物師は大砲や銃などの武器を製造する技術者であり、軍事的な必要性からも、山田家は朱印状を与えられた家柄。「鍛冶島」の地名がある森町は、かつて鍛冶師や鋳物師が活躍した地域であったのは間違いありません。