2019年09月09日
浜北・貴布禰神社&「森岡の家」跡を訪ねる⑨―伊豆石の塀
敷地北西側に、道路境界に接して凝灰岩を7段に積んだ石塀があります。これは伊豆半島から運ばれてきた石で、伊豆石と呼ばれています。鉄道開通前は遠距離の物資の輸送は船が中心でした。遠州地方から材木などを東京や横浜に送り、その帰りの船が伊豆に寄港して石を運んできました。こうして遠州地方には、幕末から明治にかけて、多くの伊豆石の蔵や塀がつくられ、今でもかなり残っています。
森岡の家に用いられている伊豆石のサイズは、一般的にこの地方の石蔵などに見られる大きさと一致し、規格化されていたことがわかります。平野又十郎が生まれた掛塚は、天竜川の川船と海を航行する船が物資を積みかえる拠点でした。又十郎の生家、林家はそこで廻船問屋を営んでいました。林家もまた、伊豆石の塀で囲われています。さらに、又十郎の娘春子の嫁ぎ先、愛知県半田市の中埜半六家(ミツカン酢醸造元、明治22年完成)の基礎にも伊豆石が使われています。伊豆石はかつての交易を物語るものなのです。
掛塚の林家に残る伊豆石の塀についてはもちろん知っていますが、「森岡の家」の塀や、平成28年(2016)に「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」の仲間たちと訪れた旧中埜半六邸の基礎も伊豆石だったことまでは、残念ながら気づきませんでした。