2019年02月19日
西鹿島の椎ヶ脇神社について⑥―「久根銅山」の幟立
西鹿島の椎ヶ脇神社には、大正3年(1914)8月に建てられた「久根銅山舩夫一同」の文字が刻まれた幟立が奉納されていました。「舩」とは「船」のこと。「舩夫」とは、鉱石船を操った「船乗り」の意味。まさかここで、「久根銅山」の名前と出会うとは思ってもみませんでした。
「久根銅山」、つまり久根鉱山が注目されるようになったのは、明治32年(1899年)古河鉱業に買収されてから。明治後期から大正期にかけて硫化鉄鉱山として日本一の地位を占め、鉱石を積んだ帆掛け船が天竜川を下り、三信鉄道(後の飯田線)が開通した昭和12年(1937)、鉄道輸送に切り替えられ鹿島橋を「∧(ヤマ)一」の帆印を誇らしげに張った鉱石船が連なる風景は見られなくなりました。
「久根銅山」、つまり久根鉱山が注目されるようになったのは、明治32年(1899年)古河鉱業に買収されてから。明治後期から大正期にかけて硫化鉄鉱山として日本一の地位を占め、鉱石を積んだ帆掛け船が天竜川を下り、三信鉄道(後の飯田線)が開通した昭和12年(1937)、鉄道輸送に切り替えられ鹿島橋を「∧(ヤマ)一」の帆印を誇らしげに張った鉱石船が連なる風景は見られなくなりました。
「久根銅山舩夫一同」の幟立は、椎ヶ脇神社の正面参道に2本、天竜川から登る石段の下に2本あります。