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2019年02月17日

西鹿島の椎ヶ脇神社について④―「椎が脇渕の竜宮城」(下)

椎ヶ脇神社から見下ろした椎が脇渕 さて、それからしばらくしてからのことである。この地方をおさめている殿さまが、おおぜいの家来を引き連れて、椎が脇神社にお泊りになることになった。
 神官は、早速椎が脇渕へとんで行き、
「椎が脇淵の乙姫さま、どうか殿さまがお気に召すような、夜具と器をたくさんお貸し下され。」
 そうお願いして、しばらくしてから渕に行ってみた。すると、ある ある。立派な布団や食器が、ちゃんとたくさん揃えておいてあった。
「ああ、ありがたい。助かった。」
 神官はほっとして、椎が脇渕に向い、お礼を言った。
 おかげで神官は殿さまから、
「行き届いたもてなし、大義であった。ほうびをとらそうぞ。」
と、多額の金品を授けられ、大いに面目をほどこすことができたのである。

 神官はその後も何か事あるたびに、椎が脇渕の乙姫さまから、いろいろなものを貸してもらうようになった。
 友だちは、そんな神官を羨ましがったり、不思議がったりした。そして
「お宅には、よくもまあ立派な道具が揃っているが、一体どこから手に入れなさった。」
と、いつもいつも聞くのだった。
 神官は、乙姫さまのことを話せないのが、残念でならなかった。椎が脇渕の竜宮城や、乙姫さまのことを話せば、人はもっともっと羨ましがるであろうに・・・・・・。

 ある日、とうとう神官は、いいことを思いついた。
「そうだ。話して悪ければ、書けばよいではないか。なぜもっと早く、そこに気付かなかったのであろう。」
 そこで早速神官は、椎が脇渕の竜宮城と乙姫さまのことを、さらさらと紙に書いて、友だちに見せたのである。
「なーるほど。そういうことであったのか。羨ましい限りじゃわい。」
 友だちはしきりに感心した。神官は、鼻高々であった。
 けれどもそれを境に、神官は字を書くことができなくなった。字を書こうと思っても、手が震えて筆が持てないのである。
 もちろん乙姫さまにいくらお願いしても、もう何も貸してもらうことはできなかった。

 天竜川は今日もとうとうと流れて、椎が脇渕は激しくうずを巻いている。
 神官は、一人ぽつねんとその渕にたたずんで、水面を見入るのであった。(「ふるさとものがたり天竜・第2章二俣地区」より一部引用)

     ◆       ◆       ◆       ◆

 「共同幻想」とも言える「貸し椀」の民話や言い伝えは、特に中部地方には数多く残されています。

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