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2018年09月15日

久根鉱山について考える①―歴史の1ページ

久根鉱山跡 みなさんは、浜松市天竜区佐久間町に「久根鉱山」があったことをご存知でしょうか?

 明治初年まで「片和瀬鉱山」と呼ばれた「久根鉱山」の始まりは、享保6年(1731)とのこと。久根の銅鉱には硫黄分が多く、明治時代には製練の煤煙で公害問題を引き起こしてしまいました。大鉱脈が発見された直後の明治32年(1899)、足尾銅山で有名な「古河鉱山」が買収してから急速に発展。全盛期の大正6年頃には、約2000人が鉱山に従事していたとのこと。天竜川の帆掛け舟を使って出荷され、太平洋戦争に突き進んだ日本を支えました。

 しかし、人口26,000人とも言われ「不夜城」と呼ばれるほどに栄えた山里の繁栄の歴史の影には、朝鮮半島や中国大陸からの労働力があったことを忘れてはなりません。当時も今も、語られない、語りたがらない歴史のページには、「久根」の名前が書き込まれているような気がします。

 採掘は昭和45年(1970)まで続き、現在では、坑道から出る水を処理する施設が稼働しているだけで、鉱山は文字通り「廃鉱」となっています。

 


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Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:48│Comments(0)歴史・産業遺産・寺社・文化財
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