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2019年02月22日

西鹿島の椎ヶ脇神社について⑨―燈籠に刻まれた「孟賣」

「孟賣歸朝紀念」の文字 西鹿島に鎮座する椎ヶ脇神社拝殿前には、3対の燈籠が供えられています。

 その中の1組は「昭和九年六月建之」と刻まれていましたので、西暦1934年の建立。受座に当たる部分には「孟賣歸朝紀念」の文字が刻まれています。さて、「孟賣歸朝紀念」とは一体何のことでしょう?

 「孟賣」の文字から、「猛烈に買う=爆買」を連想してしまうのは現代人の性(さが)?「孟賣」とは、私たちが若かった頃には「ボンベイ」と呼んでいたインドの都市。平成7年(1995)以降、現地の発音「ムンバイ」に戻されたのですが、かつての日本では「孟賣」と書いて「ムンバイ」と発音されていたのです。

椎ヶ脇神社 明治時代、東インド会社以来、イギリスの統治下で綿花の集積地として栄えた「ムンバイ」は、日本よりはずっと近代化が進んだ都市。明治26年(1893)には、日本遊船がムンバイ航路を開設し、日本とのつながりも深く、当時の「ムンバイ」には数千人の日本人が駐在していたとのこと。

 この「孟賣歸朝紀念」の文字は、駐在員としてインドの「ムンバイ」に赴いていた「當所北村英吉」が無事な帰国を自ら記念して建立した証し。もちろん、船に乗って出かけたのですから、船の安全航行を願い、椎ヶ脇神社に参拝してから出かけたはず。北遠の入口、西鹿島には、西洋化を目指した明治の日本の足跡が、こんな純日本的な形で残されていました。

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