2018年09月20日
久根鉱山について考える⑥―大天竜を往来した「鉱石船」
久根の鉱石を満載して天竜川を下ったのは「鉱石船」と呼ばれる帆掛船。その数なんと250艘、船頭600人。白い帆に「へ(ヤマ)+一」の印を染め抜き、大天竜を上り下り。
そんな「鉱石船」が大活躍をしていた時代の写真を、佐久間町西渡で入手しました。
1艘で約4トンの鉱石が積まれたとのことですが、写真に写っている「鉱石船」の数は十数艘。のんびりとした帆掛舟の往来をイメージしていましたが、実際は大違い。まさに、大船団です。
流れに乗って下るのは良いのですが、久根へと川を遡るのが大変だったのは、すでに書いた通り。春からは南風を帆に受けましたので、約5時間。冬ともなると、北からの逆風となり、「センドウヅナ」で引き上げて13時間を要し、川への転落事故も多かったそうです。
そんな「鉱石船」が大活躍をしていた時代の写真を、佐久間町西渡で入手しました。
1艘で約4トンの鉱石が積まれたとのことですが、写真に写っている「鉱石船」の数は十数艘。のんびりとした帆掛舟の往来をイメージしていましたが、実際は大違い。まさに、大船団です。
流れに乗って下るのは良いのですが、久根へと川を遡るのが大変だったのは、すでに書いた通り。春からは南風を帆に受けましたので、約5時間。冬ともなると、北からの逆風となり、「センドウヅナ」で引き上げて13時間を要し、川への転落事故も多かったそうです。
前回紹介したように、昭和9年(1934)に三信鉄道が開通して「鉱石船」は廃止され、船頭たちは、鉱山従業員になったり、岐阜などの出身地に帰って行きました。