2018年12月11日
交易の歴史を学びに佐久間へ③―古い絵葉書で振り返る「遠州西渡」
「イサミ寫眞店發行」の「北遠風景繪はがき 遠州西渡」には、かつての西渡の風景が写されています。
最初の1枚は、久根鉱山から見た西渡の家並。前方奥が大井だろうと思います。次は航空写真のようです。久根鉱山で賑わった、西渡の家並。右下に見えるのが、現在のものとは違う吊り橋、西渡橋です。
最後の写真は、水窪川を埋め尽くす木材。木材の上に立つ人の姿が見られます。
水深が浅い大千瀬川や水窪川では、筏(いかだ)を組んでも運行ができないため、「管(くだ)流し」「川狩り」での木材搬送が行われていました。木材をバラで流す「管流し」なら、川や沢さえあれば木材の搬送ができますので、どんなに山奥の木材でも流せます。
「川狩り」とは、岸にかかって流れない木材を、鳶口を使って流れに乗せてやる方法。水窪川は、西渡に着けば天竜川と合流します。ここからは、筏に組んでの「筏流し」が出来ましたが、水量、水深とも十分な天竜川以外では、こんな方法で木材の搬送が行われていたのです。
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最初の1枚は、久根鉱山から見た西渡の家並。前方奥が大井だろうと思います。次は航空写真のようです。久根鉱山で賑わった、西渡の家並。右下に見えるのが、現在のものとは違う吊り橋、西渡橋です。
最後の写真は、水窪川を埋め尽くす木材。木材の上に立つ人の姿が見られます。