2018年12月14日

佐久間は「心の故郷」④―久根鉱山

イサミ写真館で撮ったと思われる写真 富山から来た姉妹は、もう1枚の写真を見せてくれました。「ここに写っているのが、曽祖父(岡本乙次)に抱かれた祖母(岡本支那子)」「おや、この英語表記はイサミ写真館ですね。筆記体でPhotoIsamiと書かれているようです。この写真は、間違いなく佐久間、それも久根にあったイサミ写真館で撮られたものです」。

 こうなると、2人のお祖母さんの故郷が、佐久間であったのは間違いありません。お祖母さんは7歳までしか久根に住んではいなかったとのことですが、小さかった姉妹に、久根の話をしてくれたそうです。折り紙で「帆掛け舟」を折り、久根で見た「帆掛け舟」の話もしてくれたそうです。

久根鉱山施設を遠望する姉妹 生きて、故郷の地を踏むことはできませんでしたが、今回、孫姉妹は、亡きお祖母さん(岡本支那子)の写真を持参していました。

 「ほら、あちらに見えるのが、鉱山の選鉱所の跡です」。大きく蛇行している天竜川の向こうに古いコンクリートの遺構が見えています。「祖母も、この景色を見ていたのかしら?」。

久根の鉱石を運んだ帆掛け船 傘を差す姉妹の目に涙が浮かんでいます。妹の手には、古い写真が1枚。亡くなったお祖母さんの写真を手に、まるで「ここが、あなたのいた久根ですよ。お祖母ちゃん、見えていますか?」と語りかけているようです。

 姉は携帯電話を取り出し、お母さんに連絡。「お母さん!私たち、今、久根にいるよ。お祖母ちゃんが見た久根鉱山の風景を見ているの。うん。お祖母ちゃんにも見てもらっているからね」。

 「私たちよりも、もっと久根の話を聞かされていた母はまだ健在です。今度は、母を連れて来ます」。降りしきる雨の中、姉妹の涙に霞んだ目に、久根の山がしっかりと焼き付けられたと思います。

 そして、私は、近い将来お母さんも一緒に再び佐久間を訪れてくれるのを心待ちにしています。

 曽祖父に抱かれた祖母の写真の裏には「岡本乙次 次女支那子」と書かれていたそうです。曾祖母の名は「塩澤すえ」。2人のルーツを探るヒントは、決して多くはありません。

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