2017年12月11日
光明寺の境内散策⑦―「力道山」の名が残る番付額

「大関 天龍三郎」の名の残る番付額の反対側に掲げられている番付額の中、右から2人目に「関脇 力道山光浩」の名前があります。

番付額の中では「長崎」出身となっていますが、本当の出身地は朝鮮半島咸鏡南道(現・北朝鮮統治範囲)。そんな出生のことなどまったく知らないまま、私は「力道山」のパフォーマンスに興奮し、「死んだ!」と聞いた日に、似顔絵を描き上げた思い出があります。
あの頃の「力道山」に会うには、山東の光明寺奥の院をお訪ねください!
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