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2017年05月02日

山里の近代化と気田森林鉄道⑫―熊切森林鉄道

索道より吊り下げた積込み 杉川玄馬沢付近 水窪の白倉や戸中山国有林の材を運んだ気田森林鉄道に対し、杉川に沿い、岩岳山東の小俣国有林まで延びていたのが熊切森林鉄道です。

炊さん下山 杉川 傾成 熊切事業所前 かつて、春野の山を走った2本の森林鉄道は、東京営林局気田営林署が管理。気田営林署は、現在の春野町地内だけにとどまらず、水窪町の「山住事業所」「門桁事業所」なども広域に管理していました。

原始林伐採に携わった面々 杉川玄馬沢 気田森林鉄道の写真はすでに紹介しましたが、熊切森林鉄道のものは初登場。軌道が写っているものと、山仕事の写真を掲載します。

盤台 小俣 1枚目は木材の積み込み風景です。そして2枚目は、飯場で働く「炊(かしき)さん下山」。山仕事で賄をした女性は住み込みでした。年に2~3回の里帰りを「下山」と呼んだのだそうです。森林鉄道の鉄路の上での記念撮影。誰もがカメラなど持てなかった時代です。

策に跨りツルを操る 杉川玄馬沢 山仕事は決して男性だけの職場ではなかったようです。粗末な掘立小屋に暮らし、樹齢も分からぬほどの天然の巨材を伐り出し、台車に載せて軌道で貯木場に運ぶきつい仕事でしたが、それもこれも女性の助けがあってこそ。木材供給が戦後の復興を支えていた時代―男性も女性も、自信と誇りに満ちた晴れやかな表情が印象的です。

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