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2017年04月28日

山里の近代化と気田森林鉄道⑧―古い地図

森林鉄道が記入された地図 気田森林鉄道を示していると思われる地図を見つけました。「国定公園」と赤字で書かれたすぐ下辺りをご覧ください。水窪町の門桁(かどげた)から、「山住神社」の南を進み、気田川の流れに沿い水源に向かって走り、都沢線と言われていたところをみると、水窪町都沢にまでは達していたようです。もちろん水窪ダムに向かって延びている線路は水窪森林鉄道のようです。

気田付近 また、佐口行正さんからお借りした地図は「東京営林局.静岡西部経営計画区 千頭.気田.水窪営林署管内図」と題され、昭和38年10月に東京営林局で製作されたものです。

 国土地理院発行の地図の上に営林局が独自の現況を重ねたもの。北の方角が真上から少し右に振れてはいますが、昭和38年(1963)、今から49年前の北遠の山の状況が詳しく表されています。

門桁付近 例えば、気田営林署、気田門桁事務所のあった辺りには、南門桁、気田、京丸、熊切の各担当区事務所と署員宿舎、秋葉荘宿泊所が赤い文字で示されています。その少し北には、篠原貯木場。

 気田森林鉄道は、赤い線で表されています。気田川を遡って行くと、門桁から山住林道作業所を通り、都沢造林作業所から北上し、本谷造林宿舎の先まで。総延長は21,459メートル。「昭和8年着工 26年全区間完成 34年廃止」と思っていた気田森林鉄道と実際とでは、ズレがあるのかも知れません。地図によれば、昭和38年現在でも、門桁より北には、林鉄が残っていたことになります。

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