2024年10月26日
奥三河・足助のまち歩き⑲―観音寺跡
ここに観音寺跡があるとは思ってもいませんでした。たまたま歩いていた時、1段高い所に社のような建物が見えましたので、ちょっと立ち寄り。石段を少し登った所には「圓通山観音堂」の石柱が建てられていましたので、上に見えるのが観音堂かと思ったら、その社は「牛頭天王社」でした。
そして、さらに登ると「御嶽大神」の幟旗が並び、その奥にあったのは「御嶽教」の社と赤い鳥居の祠。しかし、ここで終わりではありません。
途中でイノシシと出会いながらもめげずに登ると、そこにあったのが観音寺。いや、現在は廃寺となっているようでしたので、観音寺跡と言うべきかもしれません。
実は、観音寺は足助の鬼門の方角を守るため、江戸時代初期に建立されたものとのこと。そして、現在は荒れてしまっていましたが、辺り一帯は城の曲輪跡でもあるとされていましたので、「牛頭天王社」も地域の除疫神として祀られたもの。
さらに、「牛頭天王社」の前には「秋葉山常夜燈」も建てられていたことから、これらの寺や神社は、まさに地域の安全を見守る神仏への祈りの気持ちを示しているのだと感じられました。
そして、さらに登ると「御嶽大神」の幟旗が並び、その奥にあったのは「御嶽教」の社と赤い鳥居の祠。しかし、ここで終わりではありません。
途中でイノシシと出会いながらもめげずに登ると、そこにあったのが観音寺。いや、現在は廃寺となっているようでしたので、観音寺跡と言うべきかもしれません。
実は、観音寺は足助の鬼門の方角を守るため、江戸時代初期に建立されたものとのこと。そして、現在は荒れてしまっていましたが、辺り一帯は城の曲輪跡でもあるとされていましたので、「牛頭天王社」も地域の除疫神として祀られたもの。
さらに、「牛頭天王社」の前には「秋葉山常夜燈」も建てられていたことから、これらの寺や神社は、まさに地域の安全を見守る神仏への祈りの気持ちを示しているのだと感じられました。