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2019年02月26日

磐田に残る家康の足跡④―宣光寺のみがわり地蔵

宣光寺の延命地蔵 磐田市見付の地蔵小路の奥にある宣光寺にある県指定文化財の「地蔵菩薩坐像」は「延命地蔵」とも呼ばれ、永暦元年(1160)作とのこと。そして、延命堂の前に立つ「みがわり地蔵の縁起」の看板によれば・・・

 「元亀三年(一五七二年)三方原の戦いで、信玄に追われた家康は見付に逃れて町に火を放った。地蔵は逃げまどう人々を助けるため幼児に化身、身にやけどを負いながら火を消してまわった。その功徳によって多くの人々は難を逃れた。深く地蔵に帰依した家康は、のち天下人となった。以来心や身体の苦しみなどの災難を身がわりとなってくれる仏として信仰を集めている。世にみがわり地蔵と云う。」

 この解説によれば、家康は三方ヶ原の合戦に敗れ、浜松城に逃げ帰ったのではなく、天竜川を越えて見付まで逃げて来たことになりますので、言い伝えにクレームを言っても仕方がないのですが、「三方原」は「三ヶ野」とした方が史実に近い感じ。

 掲載の写真は、境内に掲出されていた「延命地蔵」の写真を複写したもの。これが「みがわり地蔵」なのでしょうか?

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