2019年02月28日
磐田に残る家康の足跡⑥―兜塚古墳

「兜塚」の名の由来には、一言坂で武田の軍に追われて退却する徳川家康の家臣本多忠勝が、古墳のある場所の木の枝に兜を掛けたことによる、と伝えられてはいます。
ところが、現地に建てられた看板には「名前の由来 兜塚古墳は古くから兜塚の名前で知られており、古墳の形が兜を伏せた状態に似ているところから、この名前が付けられたといわれています。」と、逸話の内容を意識したような解説が書かれています。
兜塚古墳は円墳で、見ての通り兜の形。「家康の足跡」が残っているとは言えないかも知れませんが・・・。