2019年03月04日

磐田に残る家康の足跡⑩―一言観音

一言観音 一言観音とは、磐田市一言の智恩斎(ちおんさい)山門脇で会うことができます。

 言い伝えによれば「徳川軍は浜松城に退却する途中の一言坂で武田軍に追いつかれて、戦況不利な家康は、一生に一度だけ願いを叶えてくれるという観音様に祈願をし、無事に浜松城に退却することができた」と言うのですが、「一言」の地名はこの如意輪観音に由来するものだったのでしょうか?

 いや、「一言」の地名の由来は賀茂氏、加茂神社ゆかりの「一言主(ひとことぬし)」と考えたいところです。

「御殿遺跡公園」の標柱の家康像 逸話について、「史実と異なる」と目くじらを立てるつもりはありません。そんなことより、武田信玄が「浜松城へと逃げ帰った家康など眼中にない」と見せて二俣城攻めへと向かったのは、作戦だったのでしょうか?

 その手に乗ってしまった家康は、三方ヶ原の戦いで歴史的な敗北を喫し、かろうじて浜松城へと逃げ帰ったのは、単なる時間稼ぎの作戦だったとの説もあります。

 本当のところは家康に聞いてみるしかないのですが、「御殿遺跡公園」の標柱の上に座る家康は静かに遠くを見つめ、何も答えてはくれませんでした。

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