2019年03月03日
磐田に残る家康の足跡⑨―挑燈野
一言坂の西に「旧蹟 挑燈野」の碑が立っています。解説看板によれば・・・
「今から400年以上前の戦国時代の終わり頃のことです。戦に敗れ退却していた徳川軍は、当時、万能(まんのう)村といったこの辺りで、武田軍に追いつかれそうになりました。そこで、周囲の地形に詳しかった徳川家康は、夜になったことを利用し、提灯の明かりで武田軍を「ゆるぎ」とよばれる深田におびきよせました。ぬかるみに足をとられて動けなくなった武田軍は次々と討たれ、徳川軍は無事浜松へ戻ることができた、といわれています。
この地が「挑燈野(ちょうちんの)」と呼ばれるようになったのは、この出来事からで、その後、多く飛ぶようになったホタルは、命を落とした武田軍の兵士の魂であると伝えています。」
「今から400年以上前の戦国時代の終わり頃のことです。戦に敗れ退却していた徳川軍は、当時、万能(まんのう)村といったこの辺りで、武田軍に追いつかれそうになりました。そこで、周囲の地形に詳しかった徳川家康は、夜になったことを利用し、提灯の明かりで武田軍を「ゆるぎ」とよばれる深田におびきよせました。ぬかるみに足をとられて動けなくなった武田軍は次々と討たれ、徳川軍は無事浜松へ戻ることができた、といわれています。
この地が「挑燈野(ちょうちんの)」と呼ばれるようになったのは、この出来事からで、その後、多く飛ぶようになったホタルは、命を落とした武田軍の兵士の魂であると伝えています。」
200年ほど前の絵入りの史跡・名勝案内書「遠江古蹟圖會」にも描かれた「挑燈野」。ここでの家康は逃げはしましたが、負けてはいなかったようです。