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2018年01月13日

沢井天伯を訪ねる⑦―諏訪神社横の石碑群

 「西國三十三所觀世音」「大正六年三月廿一日 馬頭觀㔺音」「明治廿三年 天照皇大神宮 猿田彦命 十一月吉日」「明治廿四年 天照皇大神宮」―これらは、沢井の諏訪神社横に並ぶ4基の石碑に刻まれた文字です。

西國三十三所觀世音
西國三十三所觀世音
大正六年三月廿一日 馬頭觀㔺音 明治廿三年 天照皇大神宮 猿田彦命 十一月吉日
大正六年三月廿一日
馬頭觀㔺音
明治廿三年
天照皇大神宮
猿田彦命
十一月吉日
明治廿四年 天照皇大神宮
明治廿四年天照皇大神宮

 「西國三十三所觀世音」は同じ沢井の天伯神社や水田跡にある石仏たちと同じ観音信仰に基づくもの。「馬頭觀㔺音」は農耕や林業に使われた愛馬供養の石塔かも知れません。

 気になるのは、明治23年と同24年の「天照皇大神宮」の石碑。薬師堂脇にも同様な石碑がありました。

 「天照皇大神宮」とは、もちろん皇室の先祖神であるとする天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る伊勢神宮のことであり、明治政府が江戸幕府に代わって全国を統一するために利用した天皇制全体主義を象徴するもの。

 私には、世の中が軍国主義へと突き進んでいたあの時代の遺物のように思えます。

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