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2017年06月16日

遠州報国隊と遠州③―報国隊の結成と進軍

従軍願(大久保家文書) 明治維新に到る最後の内戦、戊辰戦争の緒戦となったのは、慶応4年(1868)1月3日~ 6日の鳥羽・伏見の戦い。遠州でも、討幕(倒幕)のために決起すべきとの集会が持たれるようになりました。

 15代将軍徳川慶喜が大阪城を脱出し、江戸に到着。有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が東征大総督になったのは、同年2月9日。遠州報国隊は幾度となく従軍を願い出てはいたのですが許されず、ようやく浜名湖今切と天竜川の従軍許可を得ることができました。
報国隊整列天竜川序


 「報国隊整列天竜川序」は、東征大総督の天竜川船橋渡河を警護する報国隊を描いた図。隊員306人は、報国川西隊と報国川東隊とに分かれ、天竜川には船橋を架け、東征大総督宮と記された有栖川宮熾仁親王ら東征軍を迎えています。

 遠州報国隊の結成は、駿州赤心隊や伊豆伊吹隊の結成も促し、ついには大総督に従って江戸に入り、江戸の警備や彰義隊攻撃にも参加することになりました。



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