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2017年06月19日

遠州報国隊と遠州⑥―報國隊建碑之義

報國隊建碑之義の葉書 五社公園にある「戊辰之役報國紀念碑」は、「明治四十年十一月建之」であることは紹介しましたが、磐田市歴史文書館(磐田市役所竜洋支所2階)で開催された企画展「遠州報国隊と近代の日本~激動期を生きた神官と幕臣~」には、長谷川貞雄と大石六助から大久保忠利に宛て、「報国隊の碑を建てるに当り相談をしたい」としたためられた葉書(大久保家文書)のコピーが展示されていました。

 書面は・・・

 兼て御依頼申上げ候
 報國隊建碑之義
 來十四日正午浜松五社
 之内神官会議所尓て相談
 会致候間御入來被下
 度、もし同日御さし支ナレバ
 十五日長谷川宅迄御入來ヲ乞


遠江濱松 丗六年十一月十二日 消印は「遠江濱松 丗六年十一月十二日」でしょうか?だとすれば、明治36年(1903)11月14日に相談会が催され、4年後の同40年(1907)11月に建立されたことになります。

 ちなみに、日露戦争が始まったのは同37年(1904)で終結は同38年(1905)のこと。まさに大日本帝国が領土拡大の戦争に向かっていたあの時代です。



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