2017年06月15日

遠州報国隊と遠州②―浜松諏訪神社

五社神社諏訪神社の社殿 遠州報国隊の始まりは嘉永7年(1854)頃。当初は、国学を研究する会合を持つ程度であったのですが、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が大総督となり東征が始まったとの報を受け、浜松諏訪神社の杉浦大学の屋敷で遠州報国隊が発足しました。

 浜松諏訪神社の祭神は、建御名方命(たけみなかなたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)、と事代主命(ことしろぬしのみこと)。かつての社殿は浜松大空襲によって焼失し、現在のものは昭和57年(1982)、五社神社諏訪神社として再建されたもの。相殿(あいどの)として徳川家康公が合祀されているのは、今も昔も変わりません。

SUWA JINSHA(濱松名所)諏訪神社 つまり、江戸幕府を開いた家康公を祀る神社に仕える神官の家で、討幕(倒幕)の相談が持たれていたことになります。何という因縁でしょう。

 写真の赤い社殿は、現在の五社神社諏訪神社。モノクロ写真の古い絵葉書は、「SUWA JINSHA(濱松名所)諏訪神社」。焼失前、戦前の浜松諏訪神社です。



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