2020年03月09日
秋葉山旧参道を歩く⑪―旧秋葉参道「戸倉道」の町石
さて、今回撮影した戸倉道に残る町石を一覧に並べてみました。
ほとんどが火袋を持った常夜燈であり、その大きさや形は同じ規格ですが、「四十丁目」の町石だけは、形も文字も違います。さらに言えば、この1基だけはその位置にも疑念が残ります。他の町石の中にも、スーパー林道を開削した時に、位置の変更を余儀なくされたものがあるのかも知れません。
しかし、明治の神仏分離令により一旦、廃社、廃寺になった歴史や、数度の大火に見舞われ、施設が焼失した不幸を考えれば、よくぞ残っていると思います。
火伏せの山として人気を集めた秋葉山に至る道は、表参道、雲名道や戸倉道に限らず、実は他にもあります。それにしても、なぜ秋葉山に開創されたのか?秋葉山でなければならなかった理由は?
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ほとんどが火袋を持った常夜燈であり、その大きさや形は同じ規格ですが、「四十丁目」の町石だけは、形も文字も違います。さらに言えば、この1基だけはその位置にも疑念が残ります。他の町石の中にも、スーパー林道を開削した時に、位置の変更を余儀なくされたものがあるのかも知れません。
しかし、明治の神仏分離令により一旦、廃社、廃寺になった歴史や、数度の大火に見舞われ、施設が焼失した不幸を考えれば、よくぞ残っていると思います。
火伏せの山として人気を集めた秋葉山に至る道は、表参道、雲名道や戸倉道に限らず、実は他にもあります。それにしても、なぜ秋葉山に開創されたのか?秋葉山でなければならなかった理由は?
6年前(2014)の2月に旧参道を歩いたことを思い出し、ますます秋葉山登拝に興味が湧いて来ました。
この記事へのコメント
ご無沙汰です。斎藤さんは元気ですね。私はこちらの参道は歩こうと思っていますが、まだできていません。年を取らないうちにとは思っていますが。そのときにはご教示願うかもしれませんので、よろしくお願いします。。
Posted by 浜北の太田のじいじ at 2020年03月09日 19:10
私も、その後は歩いていません。歩くのはもっぱら表参道ばかり。今日(3月9日)も登ってきました。これが123回目の登拝です。
Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん
at 2020年03月09日 19:17
