2019年02月14日
水窪森林鉄道について②―山王峡に残る鉄橋遺構
国土地理院発行の古い地図の中に、水窪森林鉄道らしい表示を見つけました。軌道は飯田線「水窪駅」から戸中川に沿って遡り、水窪ダムを過ぎ戸中山の奥にまで達しています。
森林鉄道のルートを辿り、山王峡辺りまで車を走らせてみました。
「しらかば荘」近くで満開の桜の奥に見える3本のコンクリート柱を見つけました。3本の橋脚と思われる遺構は高さが違い、実際にはどんな構造になっていたのかは分かりませんが、これは水窪森林鉄道の鉄橋遺構。
森林鉄道のルートを辿り、山王峡辺りまで車を走らせてみました。
「しらかば荘」近くで満開の桜の奥に見える3本のコンクリート柱を見つけました。3本の橋脚と思われる遺構は高さが違い、実際にはどんな構造になっていたのかは分かりませんが、これは水窪森林鉄道の鉄橋遺構。
水窪森林鉄道が廃止されたのは、昭和42年(1967)。43年前までは、地元では「エンジン」と呼ばれていた機関車が、重い木材を満載した台車を牽いて、この橋脚の上に敷設されたレールの上を走っていたのです。