2018年03月20日
「新緑の佐久間ダム探訪」下見ウォーク⑬―「御製、御歌の碑」と慰霊碑
完成の翌年、昭和32年(1957)10月28日、天皇皇后両陛下は「佐久間ダム」に御臨幸(りんこう)されました。上の写真は、両陛下御臨幸時に撮影されたもの。
その折、天皇陛下は「たふれたる 人のいしぶみ 見てぞ思ふ たぐひまれなる そのいたつきを」と詠まれ、皇后陛下は「いまさらに 人の力のたふとさを 思ひつつ見る 天龍のダム」と、歌を詠まれました。
佐久間ダム湖畔の高台に建てられているのは、10年後の同42年(1967)10月に建てられた「御製、御歌の碑」です。
最新の器機を導入しての工事とはいえ、危険を伴った難工事による犠牲者も多く、殉職者は96名に上りました。当時は安全管理の意識が低く、「佐久間ダム」の工事現場で保安帽やヘルメットをかぶる作業者や技術者は少なかったといいます。
「御製(ぎょせい)」中の「いたつき=労き」とは、「心労、ほねおり、功労」の意 味。昭和天皇は、巨大な建造物よりも、犠牲になった名も無き人たちの労苦に強く心を動かされたのでしょう。
「佐久間ダム」を訪れる際には、日本の近代化の礎(いしずえ)となった多くの人がいたことを思い出してください。近くには、犠牲になった96名の名を刻んだ慰霊碑も建てられています。
その折、天皇陛下は「たふれたる 人のいしぶみ 見てぞ思ふ たぐひまれなる そのいたつきを」と詠まれ、皇后陛下は「いまさらに 人の力のたふとさを 思ひつつ見る 天龍のダム」と、歌を詠まれました。
佐久間ダム湖畔の高台に建てられているのは、10年後の同42年(1967)10月に建てられた「御製、御歌の碑」です。
最新の器機を導入しての工事とはいえ、危険を伴った難工事による犠牲者も多く、殉職者は96名に上りました。当時は安全管理の意識が低く、「佐久間ダム」の工事現場で保安帽やヘルメットをかぶる作業者や技術者は少なかったといいます。
「御製(ぎょせい)」中の「いたつき=労き」とは、「心労、ほねおり、功労」の意 味。昭和天皇は、巨大な建造物よりも、犠牲になった名も無き人たちの労苦に強く心を動かされたのでしょう。
「佐久間ダム」を訪れる際には、日本の近代化の礎(いしずえ)となった多くの人がいたことを思い出してください。近くには、犠牲になった96名の名を刻んだ慰霊碑も建てられています。