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2018年03月30日

「新緑の佐久間ダム探訪」下見ウォーク㉓―三信鐵道建設工事殉職碑

「三信鉄道建設工事殉職碑」 「三信鉄道建設工事殉職碑」は、佐久間小学校の奥、生活道を兼ねている飯田線の天竜川橋梁の西側にひっそりと建っています。

 現在のJR飯田線は、元は4つの私鉄。豊橋側から「豊川鉄道」「鳳来寺鉄道」「三信鉄道」「伊那電気鉄道」が、それぞれ電車を走らせていました。これら4社は戦時中の昭和18年(1943)、国鉄に買収され「飯田線」となりましたが、それまでの佐久間地内は「三信鉄道」の営業区間でした。

 「三信鉄道」の工事は1928年8月から1937年7月まで行われ、飯田と三河川合を結ぶ約67キロの山峡を縫ってのもの。橋梁17・隧道171が作られ、暴風雨による崩壊やトンネル・築堤工事での事故で、50数人が命を落とす難工事。「三信鉄道建設工事殉職碑」は、昭和13年(1938)8月に「三信鉄道」と熊谷組が建てたものです。

レール再利用の鉄柱 碑の裏側には54人の名前が刻まれていましたが、中には、揚炯周・金道石・朴相煕などの朝鮮人らしい名前も見られました。昭和13年、日中戦争は泥沼化。「国家総動員法」が施行された年です。

 「三信鉄道建設工事殉職碑」の近くにあったフェンスの鉄柱は、レールを再利用したものでした。

 【関連記事】「新緑の佐久間ダム探訪」下見ウォーク①―飯田線「中部天竜駅」



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