2018年03月27日

「新緑の佐久間ダム探訪」下見ウォーク⑳―B型鉄橋

B型鉄橋 竜神モニュメントを見上げた後は、国道473号を横断歩道で横切り、B型鉄橋(中部大橋)を渡ります。

 昭和31年10月15日に電源開発株式会社は竣工記念に発行した『佐久間ダム』。「佐久間ダム」建設の公式記念誌です。中には、工事の経過と写真が掲載されています。

 まず気になったのが「図―17 セメント・サイロ」と「図―18 飯田線中部天竜駅及びダム資材荷卸の仮駅並びに側線」と題する写真。「B型鉄橋」と呼ばれているあの「中部大橋」が、文字通り鉄橋だった頃の写真と、現在の佐久間周波数変換所が建てられている場所に設けられていたと言われる「セメント・サイロ」の写真です。

「図17 セメント・サイロ」 3.郵送設備

 ダムおよび発電所の建設には、短期間に巨大な資材を輸送しなければならない。本工事および附帯工事飯田線付替等一切を含めて、3ヶ年間に国鉄飯田線による輸送量は約65万トンで、工事の最盛期昭和30年1ヶ年で35万トンの輸送をした。


 <中略>

 図―17は、仮駅に設けたセメントサイロで、1基にセメント1,000トンを貯蔵することが出来る。浜名湖の北岸にある磐城セメント浜松工場(月産40,000トン)から30トンのバラ・セメントを積む専用列車で、ダム用の中庸熱セメントを輸送し、一旦このサイロに貯蔵する。サイロに貯蔵されたセメントは、図の右端に見える20トン積みのセメント・トレーラーでダム地点のバッチャー・プラントまで輸送される。

 図―18の向かって左は中部天竜駅、ここから側線がアーチの鉄橋を渡って対岸の仮駅に達している。この仮駅には倉庫、セメント・サイロ等がある。


 <以下略>

「図18 飯田線中部天竜駅及びダム資材荷卸の仮駅並びに側線」 「磐城(いわき)セメント(のちの住友大阪セメント)」は、細江町気賀で生まれ育った私が、子どもの頃に工場見学をした所ですので、よく覚えています。引佐の石灰岩を原料にしてセメントを製造していました。しかし当時、あのセメントが、佐久間ダムで使われていたことは知りませんでした。

 つまり「佐久間ダム」に使われてセメントの多くは、「磐城セメント」が立地していた井伊谷から当時の二俣線「金指駅」まで貨物専用線が引かれ、豊橋からは飯田線により輸送されていたのです。

 あのB型鉄橋の上を、引佐の山の石灰岩から造られたセメントが渡たり、今、「佐久間ダム」の巨大な堤体の一部として静かに眠っているのです。

 【関連記事】「新緑の佐久間ダム探訪」下見ウォーク①―飯田線「中部天竜駅」



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