2018年06月20日
掛川から島田へ、立川流の俤を訪ねて③―団扇型の松
三熊野神社本殿を建てたのは、諏訪立川流2代目、立川和四郎冨昌の娘婿、立川昌敬(まさよし)。
・・・と、これはすでに紹介した通り。海老虹梁に施された激しい動きを再現した龍の彫刻を見れば、宮彫りと呼ばれる建築彫刻に長けた立川流ならではの精緻な技巧を見せつけられているような思いに駆られます。
また、諏訪を発して物資と文化の大動脈であった天竜川を下り、東海地方に住みながら寺社や祭り屋台を次々と建立して来た立川和四郎昌敬。新たに出会った弟子たちに自らの技を惜しげもなく伝えるため、得意の鑿を存分に振るって見せたのではないでしょうか。
本殿軒下の蟇股には、植物と鳥とを取り合わせた図柄がグルリと彫られていますが、裏側の中央に見られるのは、見覚えのある立川流の得意とするあの団扇型の松でした。
・・・と、これはすでに紹介した通り。海老虹梁に施された激しい動きを再現した龍の彫刻を見れば、宮彫りと呼ばれる建築彫刻に長けた立川流ならではの精緻な技巧を見せつけられているような思いに駆られます。
また、諏訪を発して物資と文化の大動脈であった天竜川を下り、東海地方に住みながら寺社や祭り屋台を次々と建立して来た立川和四郎昌敬。新たに出会った弟子たちに自らの技を惜しげもなく伝えるため、得意の鑿を存分に振るって見せたのではないでしょうか。
本殿軒下の蟇股には、植物と鳥とを取り合わせた図柄がグルリと彫られていますが、裏側の中央に見られるのは、見覚えのある立川流の得意とするあの団扇型の松でした。
さて、次は、西大谷にある天台宗のお寺、千手山普門寺を訪ねます。