2018年03月04日
横川から光明山に登る⑤―小豆坂
実は、光明山には、こんな昔話が残っています。
(前略)武田の大将勝頼は、腹をすかせて近くの百姓家のかけ込み、
「これ、百姓。一番早く煮える食べ物は何か。」
と、たずねた。
すると百姓が答えて言うには、
「殿さま、それは小豆の塩煮でございます。」
「わかった。では、大急ぎで煮てくれ。」
と、言いながら、勝頼もしばしの休息をとることにした。
ところが小豆の塩煮は、早く煮えるどころか、一番時間のかかる煮物であった。勝頼はそんなこととはつゆ知らず、ゆうゆうと休んでいた。
しのびの知らせで、それを知った家康は、
「こりゃあ、しめた。」
とばかりに、洞窟をはい出して、すたこら逃げてしまった。
それで家康が隠れた洞窟を、『隠れ岩』、両者が戦ったところの坂を『小豆坂』、と呼ぶようになった。
なお小豆坂には、小豆のような赤い石がたくさんあるので、小豆坂(赤豆坂)と呼ぶようになったのだとも言われている。(後略)(「ふるさとものがたり天竜・第8章北遠天竜における徳川家康 隠れ岩と小豆坂」より一部引用)
写真を撮影した山道で、秋葉山で見たのと同じ赤石、ラジオラリア板(盤)岩の小石が転がっていましたので、おそらくこの辺りが「小豆坂」だろうと思われます。
(前略)武田の大将勝頼は、腹をすかせて近くの百姓家のかけ込み、
「これ、百姓。一番早く煮える食べ物は何か。」
と、たずねた。
すると百姓が答えて言うには、
「殿さま、それは小豆の塩煮でございます。」
「わかった。では、大急ぎで煮てくれ。」
と、言いながら、勝頼もしばしの休息をとることにした。
ところが小豆の塩煮は、早く煮えるどころか、一番時間のかかる煮物であった。勝頼はそんなこととはつゆ知らず、ゆうゆうと休んでいた。
しのびの知らせで、それを知った家康は、
「こりゃあ、しめた。」
とばかりに、洞窟をはい出して、すたこら逃げてしまった。
それで家康が隠れた洞窟を、『隠れ岩』、両者が戦ったところの坂を『小豆坂』、と呼ぶようになった。
なお小豆坂には、小豆のような赤い石がたくさんあるので、小豆坂(赤豆坂)と呼ぶようになったのだとも言われている。(後略)(「ふるさとものがたり天竜・第8章北遠天竜における徳川家康 隠れ岩と小豆坂」より一部引用)
写真を撮影した山道で、秋葉山で見たのと同じ赤石、ラジオラリア板(盤)岩の小石が転がっていましたので、おそらくこの辺りが「小豆坂」だろうと思われます。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:20│Comments(0)
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