› 自然と歴史の中を歩く! › 出かけよう!北遠へ › ウォーキング・ぶらり旅・町歩き › 歴史・産業遺産・寺社・文化財 › 横川から光明山に登る③―第九丁目、十一丁目、十二丁目の町石と矢穴痕

2018年03月02日

横川から光明山に登る③―第九丁目、十一丁目、十二丁目の町石と矢穴痕

 「第九丁目」の町石は台座から外されていました。そして、「十一丁目」は倒れたまま。さて、この2つの町石の違いは何でしょう?

第九丁目の町石
第九丁目の町石
十一丁目の町石
十一丁目の町石

光明山参道 上に彫られた「金」に似た記号は同じ。「丁目」にそれぞれの数字が乗り、その上には「第九丁目」までは付いていた「第」の字が、「十一丁目」がありません。

 その理由は、おそらく石のサイズを統一したため。文字のデザイン上、「第一丁目」(見当たりませんでしたが)から「第九丁目」までは、「第」をつけ、数字が二桁になったため「目」と意味がダブル「第」を外したのだろうと考えたのですが、いかがでしょうか?

 考えてみれば、「第」も「目」も順を示す接頭語と接尾語。ダブって使うのは日本語として不自然かも知れません。

 次の「十一丁目」の町石には、石の下部の両側に、矢穴痕がくっきりと残っています。矢穴とは石を割る時に鉄の楔を打ち込む穴。浅く開けた穴に鉄の楔を入れ、石頭(せっとう)と呼ぶハンマーで叩き割ったのです。

十ニ丁目の町石
十ニ丁目の町石
矢穴痕
矢穴痕

 これらの町石は「安政四丁巳年」(1857)の造立ですから、今から約160年前、江戸時代末の石工が割った石の跡です。思わず、矢穴痕を手で撫ぜてしましました。



同じカテゴリー(出かけよう!北遠へ)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
横川から光明山に登る③―第九丁目、十一丁目、十二丁目の町石と矢穴痕
    コメント(0)