2018年03月01日
横川から光明山に登る②―次々と現れる町石
かつて光明寺の参道でもあった登山道には、次々と道標となる町石が現れます。「第四丁目」の町石は道脇に倒れたままでした。
「第五丁目」の町石の右側には「諸願成就」の文字が。ちょっと欲張りなようですが、あれとかこれではなく、「あれもこれも、いろんな願いが全部叶いますように」の意味。
「第六丁目」には「天下泰平」、「第七丁目」には「一山繁昌」。いずれも寄進主として「見附宿」の四人の名前が刻まれています。
造立年は安政年間と聞けば、日本全国で大地震が連発した時代を連想します。「天下泰平」には、幕府や諸藩の財政難、凶作による農村の荒廃、治安の悪化や一揆多発などによる世情不安に加え、地震への怖れもあったのではないでしょうか?
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「第五丁目」の町石の右側には「諸願成就」の文字が。ちょっと欲張りなようですが、あれとかこれではなく、「あれもこれも、いろんな願いが全部叶いますように」の意味。
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「第六丁目」には「天下泰平」、「第七丁目」には「一山繁昌」。いずれも寄進主として「見附宿」の四人の名前が刻まれています。
造立年は安政年間と聞けば、日本全国で大地震が連発した時代を連想します。「天下泰平」には、幕府や諸藩の財政難、凶作による農村の荒廃、治安の悪化や一揆多発などによる世情不安に加え、地震への怖れもあったのではないでしょうか?